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市制施行80周年受け継がれる想い

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北海道岩見沢市

岩見沢は今年、開庁140年、市制施行80周年を迎えます。これを記念し、岩見沢のこれまでのあゆみや岩見沢に関わりの深い人、出来事などを紹介します。

■第2回初代岩見沢市長髙柳廣蔵(たかやなぎひろぞう)
髙柳廣蔵は、慶応2年10月に髙柳家の四男として上野国(こうずけのくに)(後の群馬県佐波(さわ)郡豊受(とようけ)村、現伊勢崎市)で誕生。東京法学院(現中央大学)を卒業後、英語教師を経て、父の勧めもあり明治28年に毛陽の開拓に入りました。明治34年村長就任後、延べ39年間にわたり村長、町長、市長を歴任。村長就任に伴い、俸給を抑えて積弊(せきへい)の一掃と緊縮財政をとりました。明治39年の町制施行により初代町長となり、鉄道国有化と工場の苗穂移転に伴う町勢の停滞を避けるため、年間予算の4倍規模の上水道を整備し、改良を重ねながら市街地発展を阻害していた飲料水の問題を解決しました。また用地や資金を確保し、空知農業学校(現岩見沢農業高等学校)や岩見沢中学校(現岩見沢東高等学校)を誘致するなど、大正末期にかけ4つの中等教育機関を設置し、昭和初期には老朽化が進んだ小学校校舎の計画的改築も進めました。そのほか、幾春別川を利用した川向土功(かわむかいどこう)組合の設立による農業の発展や岩見沢区裁判所の設置、大正14年の中心部大火後の迅速な復興住宅の建設、町民の要望に応えて昭和2年9月の町立病院の開院など、多くの功績を残しました。
昭和18年の市制施行は、世論の高まりだけでなく税制上の有利面から決意。昭和20年4月に病で辞任し、昭和22年2月に逝去。市役所本庁舎前の立像〝愛市に満ちたまなざしの像〟は、昭和28年8月に市制施行10周年を記念し、有志らが彫刻家の早川巍一郎に依頼して製作。その除幕式祝辞で、久本市議会議長は立像を前に「より好(よ)き郷土の建設に努力を注ぎ翁(おきな)の御功績にむくいねばならぬと深く想(おも)いを致すものであります」と誓いました。

       

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