岩見沢は令和5年に、開庁140年、市制施行80周年を迎えました。これを記念し、岩見沢のこれまでのあゆみや岩見沢に関わりの深い人、出来事などを紹介します。
■最終回 車社会に挑戦した商店街
長屋式官舎が並ぶ町内で育った作家の氷室冴子は〝冴子の東京物語〟の中で、利益を上げる以上に沿線を活性化し地域文化を育んだ国鉄が、民営化で変わりゆく過程を父の人生と重ね、まちの未来を案じました。
昭和43年、小樽・滝川間の鉄道電化に伴い岩見沢・札幌間の移動時間が30分台に短縮され、岩見沢は札幌の商圏の影響を受けることになりました。鉄道と共に発展した駅前の商店街は、商圏人口の減少を食い止めるため、経営診断を踏まえてアーケードや駐車場の整備、老朽化した市場に代わる共同店舗や再開発ビルの建設など近代化事業に取り組みました。降雪時でも快適なアーケードは、駅前通りに面する駅前ビル前に続き、昭和45年には1条通りから中心商店街を回廊状に順次整備が進み、昭和55年には延長2.6キロメートルに達しました。また、自動車交通の増加に伴い、買い物客の安全確保のため、昭和37年から一方通行や駐車禁止などの交通規制を実施。昭和40年代に舗装工事が進むと2条通りや3条通りでは歩行者天国も開催されました。一方、4条通り商店街を通過していた国道12号は、昭和49年に現在の10条バイパスに移設され、さらに昭和58年に道央自動車道が札幌まで開通し、高速バスの運行も始まりました。国道12号沿いには、駐車場を備えた外部資本の大型店やホームセンター、パチンコ店などもできました。昭和57年からは大手コンビニエンスストアの進出が加速し、市民に近くて便利を強みとしてきた商店街の経営に大きく影響を与えました。外部資本の参加を頼りに進めようとした中心商店街の共同店舗や再開発事業は計画の変更や中断などを伴いましたが、昭和63年冬にオープンした岩見沢ポルタ(現であえーる岩見沢)は、多目的ホールとともに道内初の室内公園を備え、四季を通じて市民が集える場所としても期待されました。車社会に挑んだ商店街の意気込みを今後の地域経済の発展に受け継ぎたいものです。